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通州事件の体験記 気の弱い人は讀まないでください

2010/10/27 17:52

 

徳島の保守さんのブログに全五回で連載されていた通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)と云ふ投稿は讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。

 

写真は同記事を取り上げたねずきちの ひとりごとさんからリンクした。 あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。

 

日本人皆殺しの地獄絵

 

私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。 more

 

 

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。 でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。

 

それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあった借金も全部Tさんが払っているというので、私も覚悟を決めて結婚式場に行きました。支那の人達の結婚式があんなものであるということは初めてのことでしたので、大変戸惑いました。

 

でも、無事結婚式が終わりますと、すぐに支那に帰るというのです。でも私も故郷の大分にも一度顔を出したいし、又結婚のことも知らせなくてはならない人もあると思ったのですが、Tさんはそれを絶対に許しません。自分と結婚したらこれからは自分のものだから自分の言うことを絶対に聞けと申すのです。それで仕方ありません。私はTさんに従ってその年の三月に支那に渡りました。 長い船旅でしたが、支那に着いてしばらくは天津で仕事をしておりました。私は支那語は全然出来ませんので大変苦労しましたが、でもTさんが仲を取り持ってくれましたので、さほど困ったことはありませんでした。

 

そのうち片言混じりではあったけれど支那語もわかるようになってまいりましたとき、Tさんが通州に行くというのです。通州は何がいいのですかと尋ねると、あそこには日本人も沢山いて支那人もとてもいい人が多いから行くというので、私はTさんに従って通州に行くことにしたのです。それは昭和九年の初め頃だったのです。Tさんが言っていたとおり、この通州には日本人も沢山住んでいるし、支那人も日本人に対して大変親切だったのです。

 

しかしこの支那人の人達の本当の心はなかなかわかりません。今日はとてもいいことを言っていても明日になるとコロリと変わって悪口を一杯言うのです。 通州では私とTさんは最初学校の近くに住んでいましたが、この近くに日本軍の兵舎もあり、私はもっぱら日本軍のところに商売に行きました。私が日本人であるということがわかると、日本の兵隊さん達は喜んで私の持っていく品物を買ってくれました。私はTさんと結婚してからも、しばらくは日本の着物を着ることが多かったのですが、Tさんがあまり好みませんので天津の生活の終わり頃からは、支那人の服装に替えておったのです。

 

すっかり支那の服装が身につき支那の言葉も大分慣れてきていました。それでもやっぱり日本の人に会うと懐かしいので日本語で喋るのです。遠い異国で故郷の言葉に出会う程嬉しいことはありません。日本の兵隊さんの兵舎に行ったときも、日本の兵隊さんと日本語でしゃべるととても懐かしいし又嬉しいのです。私が支那人の服装をしているので支那人と思っていた日本の兵隊さんも、私が日本人とわかるととても喜んでくれました。

 

そしていろいろ故郷のことを話し合ったものでした。 そして、商売の方もうまく行くようになりました。Tさんがやっていた商売は雑貨を主としたものでしたが、必要とあらばどんな物でも商売をします。だから買う人にとってはとても便利なんです。Tに頼んでおけば何でも手に入るということから商売はだんだん繁盛するようになってまいりました。Tさんも北門のあたりまで行って日本人相手に大分商売がよく行くようになったのです。この頃は日本人が多く住んでいたのは東の町の方でした。私たちはTさんと一緒に西の方に住んでいましたので、東の日本人とそうしょっちゅう会うということはありませんでした。

 

ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさんが私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。そのとき私が日本人であるということがわかると大変なことになるので、日本人であるということは言わないように、そして日本人とあまりつきあってはいけないと申すのです。私は心の中に不満が一杯だったけどTさんに逆らうことは出来ません。それで出来るだけTさんの言うことを聞くようにしました。顔見知りの兵隊さんと道で会うとその兵隊さんが、Tさん近頃は軍の方にこないようになったが何故と尋ねられるとき程つらいことはありませんでした。そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。

 

何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。 只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。

 

そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。するとTさんはあなたも日本人じゃないかと申したのです。するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。そして安重根という人の話を語りました。伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと申すのです。私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。Tさんは黙ってこの朝鮮人の言うことを聞いて最後まで一言もしゃべりませんでした。 こんなことが何回も繰り返されているうちに、町の空気がだんだん変わってくるようになってまいったのです。

 

でもそんなことを日本の軍隊や日本人は全然知らないのです。私は早くこんなことを日本人に知らせねばならないと思うけれど、Tさんは私が日本人と話すことを厳重に禁止して許しません。私の心の中にはもやもやとしたものがだんだん大きくなって来るようでした。道を歩いているとき日本の兵隊さんに会うと「注意して下さい」と言いたいけれど、どうしてもその言葉が出てまいりません。目で一生懸命合図をするけど日本の兵隊さんには通じません。私が日本人であるということは通州で知っているのはTさんの友人二、三人だけになりました。日本の兵隊さん達もだんだん内地に帰ったり他所へ転属になったりしたので、殆ど私が日本人であるということを知らないようになりました。

 

そうしているうちに通州にいる冀東防共自治政府の軍隊が一寸変わったように思われる行動をするようになってまいりました。大体この軍隊は正式の名称は保安隊といっておりましたが、町の人達は軍隊と申しておったのです。この町の保安隊は日本軍ととても仲良くしているように見えていましたが、蒋介石が共産軍と戦うようになってしばらくすると、この保安隊の軍人の中から共産軍が支那を立派にするのだ、蒋介石というのは日本の手先だと、そっとささやくように言う人が出てまいりました。その頃から私は保安隊の人達があまり信用出来ないようになってまいったのです。 行商に歩いていると日本人に出会います。私はTさんから言われているのであまり口をきかないようにしていました。

 

すると日本人が通った後ろ姿を見ながら朝鮮人が「あれは鬼だ、人殺しだ、あんな奴らはいつかぶち殺してやらねばならない」と支那人達に言うのです。最初の頃は支那人達も朝鮮人達の言うことをあまり聞きませんでしたが、何回も何回も朝鮮人がこんなことを繰り返して言うと、支那人達の表情の中にも何か険しいものが流れるようになってまいりました。特に保安隊の軍人さん達がこの朝鮮人と同じ意味のことを言うようになってまいりますと、もう町の表情がすっかり変わってしまったように思えるようになりました。私はあまり心配だからあるときTさんにこんな町の空気を日本軍に知らせてやりたいと申しますと、Tさんはびっくりしたようにそんなことは絶対にいけない、絶対にしゃべったらいけないと顔色を変えて何度も言うのです。それで私はとうとう日本軍の人たちにこうした町の空気を伝えることが出来なくなってしまったのです。

 

それが、昭和十一年の終わり頃になるとこうした支那人達の日本に対しての悪感情は更に深くなったようです。それは支那のあちこちに日本軍が沢山駐屯するようになったからだと申す人達もおりますが、それだけではないようなものもあるように思われました。私はTさんには悪かったけれど、紙一杯に委しくこうした支那人達の動き、朝鮮人達の動きがあることを書きました。そして最後に用心して下さいということを書いておきました。この紙を日本軍の兵舎の中に投げ込みました。これなら私がしゃべらなくても町の様子を日本軍が知ることが出来ると思ったからです。こうしたことを二回、三回と続けてしてみましたが、日本軍の兵隊さん達には何も変わったことはありませんでした。 これでは駄目だと思ったので、私はこの大変険悪な空気になっていることを何とかして日本軍に知らせたいと思って、東町の方に日本人の居住区があり、その中でも近水槽というところにはよく日本の兵隊さんが行くということを聞いたので、この近水槽の裏口のほうにも三回程この投げ紙をしてみたのです。でも何も変わったことはありません。これは一つには私が小学校も出ていないので、字があまり上手に書けないので、下手な字を見て信用してもらえなかったかも知れません。このとき程勉強していないことの哀れさを覚えたことはありませんでした。

 

昭和十二年になるとこうした空気は尚一層烈しいものになったのです。そして上海で日本軍が敗れた、済南で日本軍が敗れた、徳州でも日本軍は敗れた、支那軍が大勝利だというようなことが公然と言われるようになってまいりました。日に日に日本に対する感情は悪くなり、支那人達の間で「日本人皆殺し、日本人ぶち殺せ」と言う輿論が高まってまいりました。その当時のよく言われた言葉に「日本時は悪魔だ、その悪魔を懲らしめるのは支那だ」という言葉でした。私はそんな言葉をじっと唇をかみしめながら聞いていなくてはならなかったのです。支那の子供達が「悪鬼やぶれて悪魔が滅ぶ」という歌を歌い、その悪鬼や悪魔を支那が滅ぼすといった歌でしたが、勿論この悪鬼悪魔は日本だったのです。こんな耐え難い日本が侮辱されているという心痛に毎日耐えなくてはならないことは大変な苦痛でした。

 

しかしこんなときTさんがはまもなくおさまるよ、じっと我慢しなさいよと励ましてくれたのが唯一の救いでした。そしてその頃になるとTさんがよく大阪の話をしてくれました。私も懐かしいのでそのTさんの言葉に相槌を打って一晩中語り明かしたこともありました。 三月の終わりでしたが、Tさんが急に日本に行こうかと言い出したのです。私はびっくりしました。それはあれ程に日本人としゃべるな、日本人ということを忘れろと申していたTさんが何故日本に行こうか、大阪に行こうかと言い出したかといえば、それ程当時の通州の、いや支那という国全体が日本憎しという空気で一杯になっておったからだろうと思います。

 

しかし日本に帰るべくT山河にほんの状況をいろいろ調べてみると、日本では支那撃つべし、支那人は敵だという声が充満していたそうです。そんなことを知ったTさんが四月も終わりになって「もうしばらくこの通州で辛抱してみよう、そしてどうしても駄目なら天津へ移ろう」と言い出しました。それで私もTさんの言うことに従うことにしたのです。何か毎日が押付けられて、押し殺されるような出来事の連続でしたが、この天津に移ろうという言葉で幾分救われたようになりました。来年は天津に移るということを決めて二人で又商売に励むことにしたのです。でもこの頃の通州ではあまり商売で儲かるということは出来ないような状況になっておりました。しかし儲かることより食べて行くことが第一だから、兎に角食べるために商売しようということになりました。そしてこの頃から私はTさんと一緒に通州の町を東から西、北から南へと商売のため歩き回ったのです。 続きはこちら

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吉永小百合の間違った反戦・反核運動が将来、日本の子供を不幸にするかもしれない

2010/09/29 16:53

 

歴史防衛論本館

私も信仰者の端くれなので、戰爭には断固反対する。そういう意味では反戰という考えには同意する。 しかし厭戦には同意できない。戰爭が嫌いだから反戰ということと、真の反戰とは違ふ。その厭戦の雄、九条の会のHPを見ていると、賛同者・賛同メッセージが898名寄せられている。 一応引用しておくと、

「九条の会」アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)

有名なところでは作家阿刀田高、歌手の上條恒彦、俳優川原亜矢子、俳優岸田今日子、作曲家小林亜星、料理研究家小林カツ代小室等、ミュージシャンKONTA、漫画家ちばてつや、音樂家巻上公一、俳優松金よね子、映画監督山田洋次、俳優吉田日出子、俳優吉永小百合と言った人が名を連ねている。

 

特に吉永小百合さんは古くから反戰・反核運動に盡力されている。WIKIPEDIAを確認するとこのような逸話が紹介されている。

確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」と釘を刺した。

こいうことが報道で取り上げられ国民が影響を受けてしまう。とくに吉永小百合さんのような影響力のある方の発言だとなおさらだ。 賛同メッセージのなかで典型的なのが、社民党党首福島瑞穂さんのメッセージなのでそれも引用しておく。

第二次大戦の反省を経た今も、大国主義の戦争がなくならないことに強く抗議します。世界中の人々が「もう戦争はやめにしよう」と声を上げている今、憲法9条の理念を実践するために私たち自身が行動し、平和への願いを成就させましょう。改憲を阻止することは多くの命を守ることです。ともにがんばりましょう。

これらの人達に共通する認識は、こちらが平和を望み兵器を所持しなければ相手にもその気持が必ず伝わるという信念だろう。 とくに俳優として広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとしていると、いう吉永さんはその活動を日本ですべきではない。 原子力爆彈を所持している、米国ロシア中国北朝鮮パキスタンインドフランス、イスラエルの各国を回って核廢絶、特に世界で唯一の原子力爆彈の加害国であるアメリカ、核廢絶に積極的なオバマ大統領に原爆詩の朗読をするべきである。 チベットへの侵略に抗議したシャローン・ストーンやリチャード・ギアに比べると非常に幼稚なパフォーマンスと云へる。そして吉永さんはじめ憲法9条を守る会のアピールに賛同している諸兄はチベットとの現状に目を向けるべきである。 ダライラマ猊下に帰命帰一しているチベットの人々はの無争無対立の教えを貫いて、いっさいの抵抗を拒否している。中国はそれを良い事にまず男性から職を奪った。 職を奪ふことなど簡単だ。公用語を中国語にしてしまへばチベット人の多くは働くことが出来ない。女性は生きるため中国人の愛人となるか、賣春婦となるかの選択しかない。 生まれた子供はハーフで中国への愛憎も半分になる。その子供はその半分になり、言語と名誉を奪われた民族は歴史からその姿を消すことになる。 チベットの民はぬるま湯で平和を希求している憲法9条の会の賛同者より強く、平和を希求し無争無対立を実践し行動している。 しかし哀しいかな現実は民族滅亡の危機に瀕している。隣にそんな平和などお構い無しの野蠻国家が存在しては高尚な理念も、虚しい空念仏となってしまう。 憲法9条の会の諸兄は賛同のメッセージのように「平和」の為に北京で行動すべきである。そして吉永さんは北京で原爆詩の朗読会を開き、ウイグルでの核實驗を非難し、チベットへの侵略を批難すべきである。ぬるま湯で平和を希求しても何もわらないのだ。

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第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 ガイドライン 外来文化を受容してきた韓国と日本

2010/09/25 22:59

 

―日本が受け入れたのは韓国文化だけではない
崔南善は日本統治下の朝鮮で、1919年3.1運動を組織して、独立宣言文を起草している。その後逮捕されたが、やがて転向して満州の建国大学教授になった。

満州に跋扈する共産分子の批判活動を展開し、日本が支那事変から大東亜戦争に突入すると、聖戦の意義を説いて戦意高揚に貢献する。

しかし戦後は再び転向して日本批判を始めた。彼が終戦後書いた「朝鮮民族独立運動史」にはこうある。

地図を披見すれば、朝鮮半島が、大陸の乳房のように、垂れ下がっており、日本列島がこれに吸いつかんとする嬰児のような形になっているのを見るであろう。朝鮮と日本との二千年に亘る交渉史は、実に斯くの如き地政学的約束の、刻々の胴体に外ならない。
日本が、この乳房によって、大陸の文化を吸収し、物質を利用するのは、その平和的関係であつて、この乳房から離れて、これが思うがまゝに吸い付けない時に、身悶えし、地団駄踏むのは、その浸冠的葛藤に外ならぬ。そして、この乳房の持ち主の温かい懐に食い込んで、その栄養のありつたけを吸い尽さんとしたのが、即ち、日本が朝鮮に向つて、毒牙兇爪をふるってやまない理由であつたのである。
 もっと極端な意見にはこのようなものもある。
「奈良時代の支配層はすべて渡来人で占められ、人口の96%は渡来人だった」「現在の日本人は韓半島の戦乱で滅亡した王朝の貴族を最低層(罪人、貧困者)、つまり祖国で生きられない恨みとコンプレックスを抱いた韓民族の子孫だ」
日本は太古以来、韓国からの渡来人は多かった。その中には戦争に敗れた政治亡命者のような人達も多い。学者や僧侶、特殊技能者も多かった。「古事記」「日本書紀」にはその人々の、貢献ぶりや役割を人名を上げて記述している。当時、渡来人には一時金や土地を与え、税金を免除したり、社会的地位を与えてもいる。

新撰姓氏録」には1182氏姓が記録され、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に3分類されている。その中に漢、百済、新羅、高句麗、任那など、約3割強の324氏が渡来系として記録されている。渡来人は日本に融け込み、政治や文化のみならず、技術や生産といった面でも貢献した。朝廷は彼ら姓氏を与え、高い地位を用意した。(当時姓氏は由緒あるものにしか与えられなかった)
この他、日本は渤海国から727年に最初の使節を受け入れて以来34回の来日使節を受け入れ、13回渤海国に使節を派遣した。遣隋使は607年が最初で以後4回、遣唐使は第1回が630年で以後15回を数える。大宝律令や平安京といったものは唐の制度や都市計画を取り入れている。いずれにして乳房を吸ったのは韓半島だけというわけではない。

さらに南方からの影響も無視できない。インドネシアには天孫降臨の神話があり、山岳信仰がある。ブギス族の住居は高床式住居であり、バリ島には自然信仰や禊の風習がある。「韓国乳房論」などを韓国が主張するのであれば、韓国の文化など小中華で中国の原理主義的コピーだというよう。

日本は古代から多様な外来文化を受容してきた。朝鮮や中国からは儒教や仏教を受け入れた。聖徳太子は高麗の僧遺慧慈や覚哿について学ばれた。推古天皇12年(604年)に定められた17条の憲法では。「篤く三宝を(仏・法・僧)を敬う」(仏教を尊重すること)ことと、「詔を受けては必ず謹む」(天皇のお言葉に従う)ことの両立を謳っている。

推古天皇15年には、「神祗礼祭の詔」を出され、「祖先の神々を祭ることを怠ってはいけない」として、神祗際を厳修された。推古天皇の諡名の推古は我国古来の古道を推し進められたという意味である。

このご意志は1400年の時を経て明治天皇にも伝わった。明治42年の御製に

よきをとりあしきをすてて外国(とつくに)におとらぬくにとなすよいもがな
外国のよいところは取り入れ、悪所は切り捨てて、外国おとらない国にしたいもだ、と詠っておられる。

我国は中国の悪しき伝統である纏足や宦官制度、科挙制度は取り入れなかった。フランスの歴史学者ボニファレオ著のフランス歴史教科書「歴史・現代世界」(日本―その偉大なる伝統・文部省刊)はこう結論している。

日本はまず輸入したものを模倣し、ついで自分のものにし、それに自国の特性を与えて同化する。それ故、これは単なる受身的なものではなく、自動的能動的な適応である。中国文化に対してもその通りで、日本は輸入した後で、自国自身の伝統に順応させた。それは西洋文化についても同様であった。

韓国も他国の侵攻を受けながら、独自のものを失わず、流入してくる様々な文化を自国の伝統に順応させた。日韓両国民は、その点を相互に確認し合いながら、広い視野で持って神話や古代史を見たいものである。

 

歴史防衛論本館

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日韓のこれから 日韓共鳴二千年史から紐解く 目次

2010/09/03 19:49

 

日刊サイバルリベリテはこちら

 

日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになるは八部構成で、索引まで含めると716頁に及ぶ大著だが、僕はこの本が日韓で今後も読まれれば、日韓の二千年に及ぶ交流史においての不幸な時代(日本の明治維新後から今日までの僅か150年足らず)に終止符を打ち「和シテ同ゼズの共感的理解」の時代を迎えられると思う。 ここに登場する朝鮮人、日本人の名前を読者はほとんど知らないであろう。知っているのは力道山と李方子殿下くらいではないだろうか。それくらい日韓は近くて遠い国なのである。例えば英国米国、仏国などの交流史を書けばもっと知っている名前が登場するであろう。それくらい両国の感情は歪められ、そして目隠しをされているのである。まず目次としてそれぞれの時代のトピック的事項が列記されているので紹介する。

 

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応

ガイドライン 日韓年表①[神話時代から古代・中世まで]

一、日韓神話の共有性

―日本神話と檀君・駕洛神話 コラム①「檀君神殿」建設運動 コラム②済州島の三女は日本人だった?

二、日韓に生きる王仁博士

―1600年を超えたブーメラン現象

三、百済時代は日韓交流のモデルたりうるか

―百済・聖明王への鎮魂と仏教伝来謝恩碑

コラム③日本から百済に留学した五人の尼僧[扶余]

四、百済への救援と亡命者の受け入れ

―日本人の共感を呼ぶ亡国の秘話

コラム④白村江で営まれた戦歿者追悼祭

コラム⑤世界でも類例のない文武王の海中陵[慶州] コラム

⑥日本に生きる百済王神社と百済寺跡[大阪府枚方市]

五、日韓感応の秘話

―百済の階伯将軍と朴堤上、熊谷次郎直実と調吉士伊企儺

コラム⑦亡命百済人の石塔群「滋賀県蒲生町」 コラム

⑧宮崎県南郷村に甦る「百済の里」

 

第二部 秀吉の朝鮮出兵と通信使

ガイドライン 日韓年表

②[秀吉の天下統一から幕末まで]

一、秀吉の朝鮮出兵の総括

韓国人ガイドとの論争を通して

コラム①「耳塚」は敵国戦死者の慰霊塔[京都府]

コラム②清正に感謝状を贈った朝鮮の王子たち

コラム③東郷元帥と李舜臣将軍

コラム④アンドレ・モロアの警告

コラム⑤朝鮮出兵と大東亜戦争のその驚くべき近似性

二、敵国の死者を弔う日本の伝統

―古代から朝鮮出兵まで

三、毛谷村六助と論介の合同慰霊祭

―福岡・英彦山麓建てられた、壬辰倭乱両軍官民碑合同慰霊碑

コラム⑥南州墓地に眠る九人の朝鮮武士[鹿児島市]

四、陶祖・李参平之碑

―伊万里焼の元祖をたたえる有田の人々

コラム⑦撤去された金宦墓の案内板[熊本市]

コラム⑧洪浩然義士の墓[佐賀市]

五、「朝鮮通信使」に学ぶもの

―"誠信"の外交を貫いた日朝の人々

コラム⑨朝鮮通信使一覧

コラム⑩金漢重の死を悼む大阪の人情

コラム⑪日朝間・最初のボタンの掛け違い

コラム⑫通信使に見る日朝間学習熱比較

コラム⑬長州、博多と朝鮮その深き因縁

 

第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ

ガイドライン 日韓関係略年標

③[アヘン戦争から日韓併合まで]

第三部を読むにあたっての設問

一、征韓論と江華島事件

―西郷隆盛の遺韓外交と朝鮮の動向

二、壬午軍乱と甲申事変

―大院君の再登場と金玉均の乱

コラム①日本に残る金玉均の遺産

コラム②福沢諭吉「脱亜論」の真意

三、東学党の乱と日清戦争

―民族運動の登場と独立自尊の教訓

四、閔妃暗殺と高宗の「我館播遷」

―感動を呼ぶ李周會将軍・金弘集首相・禹範善親子の物語

コラム③三浦梧楼公使の真意 五、大韓帝国の誕生と挫折

―徐載弼の教育改革と失われた独立のチャンス

コラム④ロシアの朝鮮進出

六、日露戦争と日韓保護条約

―一進会積極協力と閔永煥の自決

コラム⑤なぜ朝鮮半島が戦場になったのか

コラム⑥ロシア将兵の慰霊塔を先に建てた乃木将軍

七、韓国不滅の民族運動

―さらに崔益鉱と羅寅永らに見る

八、高宗皇帝の退位と義兵闘争

―終戦時の昭和天皇と対比して

九、安重根と伊藤博文

―二人の合同慰霊祭を営む心で

コラム⑦石川啄木と伊東公暗殺

コラム⑧伊藤統監政治に対する外国人の評価

コラム⑨安重根の供養を続けた千葉十七

コラム⑩韓国にとっての伊藤博文と日本にとってのマッカーサー

十、親日的愛国者・李容九の生涯

―内田良平・武田範之・宋秉畯らと共に

コラム⑪李容九に対する「東京朝日新聞」の評価

コラム⑫樽井藤吉の『大東合邦論』

コラム⑬『李容九の生涯』と『売国奴』

十一、相互感応史の提唱

―日韓・歴史共同研究をめぐって

コラム⑭内田良平と「日韓合邦記念塔」

 

第四部 日韓併合それぞれの苦難

ガイドライン 日韓関係略年表

④[日韓併合から大東亜戦争まで]

一、日韓併合のプリズム分析

―併合に対する国際的評価と併合の必然性

コラム①韓国併合条約

コラム②併合に対する海外論調

コラム③韓国併合の詔

コラム④日韓両会社併合のおとぎ話

二、日韓併合を肯定した韓国人たち

―責任を当時の指導者に押しつけなかった人々

コラム⑤日韓併合の遠因と明治維新の奇蹟

コラム⑥要点に触れない日韓の教科書

三、吉野作造が見た初期の朝鮮統治

―シカゴ大学教授スタール博士の警告

四、世界から見た「日韓併合」

イギリスアイルランド併合とアメリカハワイ併合

コラム⑦英国の教科書が描くアイルランド独立運動

五、三・一事件と二・二六事件

―一国が独立することの意味を問う

コラム⑧純宗元皇帝の崩御を悼む市民たち

コラム⑨三・一独立宣言

コラム⑩三・一事件に対する新聞の論調

六、閔元植による「三・一運動」総括

―雑誌『太陽』掲載の「朝鮮騒擾」善後策

コラム⑪「三・一事件」日韓教科書比較

七、大韓民族独立運動の父・安昌浩

―独立自尊・国力培養訴えた独立運動の指導者

八、「民族独立記念館」で讃えられる反日英雄たち

―昭和天皇に爆弾を投げた李奉昌を中心に

九、併合後の反日独立闘争

―「尹奉吉義士暗葬之跡」をめぐって

十、朝鮮神宮創建の教訓

―海外神社の実態とともに コラム⑫朝鮮に建立された神社

十一、台湾から見た日本の朝鮮統治

―日本語強制、創氏改名、日帝三十六年

コラム⑬「検証」日本語強制

コラム⑭「検証」創氏改名

コラム⑮「検証」強制連行

コラム⑯朝鮮統治その評価方法

十二、朝鮮統治の根本方針

―"一視同仁"という理念をめぐって

コラム⑰日本は教育や産業の近代化に貢献したか

コラム⑱差別の実態とその是正

コラム⑲歴代朝鮮統監と総督・治績・事件一覧

 

第五部 大東亜戦争 朝鮮への鎮魂 ガイドライン

日韓関係略年表⑤[満州事変から韓国北朝鮮独立まで]
一、「内鮮一体」と「皇民化」
コラム①内鮮一体の三大著作
コラム②朝鮮語抹殺を提唱した玄永燮 
二、聖戦完遂に熱狂した朝鮮の人々
コラム③志願兵たちの勇戦 
三、韓国の西郷隆盛・金錫源将軍
四、李光洙と崔南善の唱道した大東亜戦争
五、麗羅著『山河哀号』に見る民族の嘆き
―それは戦後の日本にも通ずる
コラム④山本元帥追悼詩を作った金素雲 
六、「日朝の大義」に生きた崔慶禄少尉
七、特攻戦死した朝鮮人の悲願
コラム⑤朝鮮出身の特攻員
コラム⑥まぼろしに終わった光山文博大尉の顕彰碑
八、インドネシア独立軍に投じ散華した梁七星
―民族の壁を超えた「アジア解放」の理想 
九、戦犯として処刑された朝鮮人たちの祈り
―アジア解放と日本の勝利、韓国の独立を願って刑死した朴成根少年 
十、洪思翊中将の忠誠と佐藤栄作首相の陰徳
コラム⑧朝鮮における最後の陸軍葬と昇神の儀 
十一、陸軍士官学校で学んだ朝鮮の青年たち
コラム⑨なぜ崔貞根少佐は特攻殉死したのか 
十二、日韓提携による韓国独立を目指した呂運享
十三、親日路線を歩んだ悲運の生涯
―朝鮮・韓国人と共に忘れてはならないアジアの「戦友」たちへの鎮魂 
十四、韓国に建てられた「護国神社」
―日本軍人として戦死した大邱連隊戦死者を祀る
 
ガイドライン(日本に尽くした韓国・朝鮮人たちも含めて)
一、光化門を守った柳宗悦
―李美術館を再発見し、朝鮮民族美術館を設立した芸術家 
二、朝鮮の土となった日本人・浅川巧
―不朽の名著『朝鮮陶磁器名考』
コラム①朝鮮窯業はなぜ衰頽したのか 
三、在日朝鮮人を救った大川常吉警察署長
関東大震災の影に咲く秘話[横浜市] 
四、韓国の文化勲章を受章した枡富安左衛門
―教育に生涯を捧げたキリスト教徒
コラム②枡富の顕彰碑を建立した鄭成沢氏
コラム③枡富を慕った独立運動家趙尚亢氏 
五、孤児養育に生涯を捧げた曽田嘉伊智翁
―国交樹立前に韓国から文化勲章を贈られた日本人 
六、「三十八度線のマリア」望月カズ
―第一回光復章を授与された愛の理髪師 
七、韓国障害児の母・李方子妃殿下
―朝鮮尾王家に嫁がれた女王殿下
コラム④李方子妃殿下追悼の日韓合同慰霊祭
コラム⑤異民族の王室に嫁いだもう一人の日本人 
八、市民葬で送られた日本女性・田内千鶴子
―日韓国交回復三十年記念映画「愛の黙示録」の主人公が訴えたこと
コラム⑥韓国農民の父・岩田平之助
 
ガイドライン
一、国境を越えて生きる師弟愛
―日本人の『篤行美談集』を著した林成洙氏と恩師を讃える金泳三大統領 
二、無名日本人の遺骨を合祀した金玄玉ソウル市長
―「仏教伝来謝恩碑」建立二十年記念式典での挨拶から
コラム①敗戦後の高貴なる韓国人たち
コラム②南の島のマリア鄭寶玉女史[沖縄県南大東島] 
三、日本の伝統文化を悲求した朴鉄柱
―戦後、ソウルに「日本文化研究所」を建立した悲劇の知日家 
四、北朝鮮韓国・日本に生きる力道山
―日本の英雄から三国の英雄になった男 
五、戦後の日本の原点は「終戦の詔書」にある
―日韓協会の鄭時東理事長による「戦後日本」批判
コラム③金容雲博士が語る「天皇」論 
六、戦前・戦中・戦後、日韓友好に尽した朴春琴
―愛国であるが故に親日を貫いた国会議員
コラム④韓国史に輝く十大偉人・英傑
 
第八部 日韓両国民へ八つの提言
一、韓国歴代大統領の本音に学ぼう
コラム①北朝鮮亡命者の親日感情 
二、相手国の戦歿者に敬意を払おう
コラム②靖国神社に参拝した韓国の識者たち 
三、台湾統治や南洋統治と比較して考えよう
四、国際的視野から「慰安婦」問題を考えよう
五、国際的視野から「戦争責任」を考えよう
コラム③ASEANから見た日韓関係 
六、両国の懸案「竹島」問題を深く知ろう
コラム④李舜臣十三世と民族独立記念館 
七、日韓「提携」の歴史にもっと注目しよう
八、慰霊を通じ恩讐を超えていこう

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二十歳以下の方、心臓の弱い方は観ないでください。

2008/03/18 16:23

 

許されないことであると同時にこの現実をしっかりと認識する必要がある。

 引用開始

 これが中国の実際です。 写真は大いに広めてください 驚愕っ!!! 

中国共産党の命令で拷問された美人女性の記録映像 http://www.youtube.com/watch?v=Y_gsIIQOBsY

二年にわたった拷問を受け、死に近づいている女性の様子を撮影した驚愕のビデオ映像
http://www.faluninfo.jp/2004/10/html/041022_phss.htm

若い女性は、話すことのできない拷問と強姦を受けた後、精神的に崩れた http://www.faluninfo.jp/2004/08/html/040827_phss.htm

国連特使が中国の拷問虐待問題を調査、真相解明に悲観論 http://www.epochtimes.jp/jp/2005/11/html/d72608.html

弾圧鎮静は見せかけ、続く拷問と殺害 http://www.epochtimes.jp/jp/2005/09/html/d71669.html

中国の刑務所、女性に残酷な性的拷問 http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d80844.html

迫害で死亡した中国人女性、生前迫害を証言した衝撃映像 http://www.epochtimes.jp/jp/2005/08/html/d10206.html

中国公開処刑(幼い女の子を民衆の前で惨殺に殺す画像)   http://www.peacehall.com/news/gb/china/2004/12/200412130343.shtml

中国軍による集団リンチ虐殺動画(チベット大虐殺) http://www.kinaboykot.dk/video.htm 中国政府にレイプや拷問された多くの女性(画像) http://photo.minghui.org/photo/images/persecution_evidence/E_wuju_300_1.htm

女性を裸にして拷問(おっぱいと乳首を破壊) 中国刑務所で行われている法輪功学習者への迫害実態(画像)
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/10/html/d67889.html

http://hemohemo.web.infoseek.co.jp/category/china01/
↑ 生きた人間から臓器を取り出し 移植させる 激ヤバ 中国の真の実態っ!!!


抗議 要請先

●首相官邸 電話 03-3581-0101 FAX 03-3581-3883 です。

民主党鳩山由紀夫幹事長は昨年ダライ・ラマ14世と会談。
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-11-1 TEL:03-3595-9988(代表) FAX:03-3595-9991
チベット問題を考える議員連盟(代表 枝野幸男) TEL.048-648-9124
◆在日中華人民共和国大使館 大使館の住所: 〒106―0046東京都港区元麻布3―4―33 大使館の代表電話: 03-3403-3388 オペレーター:内線8100 公使   TEL:03-3403-3388内線8506 FAX:03-3403-3381 政治部   TEL:03-3403-3388内線8536 FAX:03-3403-3381

引用終了  

しかしこのようなことは世界各地で頻発している。支那、アフリカ、欧州。逆に考えると一つの国家が生存してゆこうとするときには起こり得る。僕たちは「生存する」ことにあまりにも無頓着ではないのかと考えさせられる。

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犯罪者は精神異常者? ニュース記事に関連したブログ

2008/03/10 14:00

 

人は人を殺害することもあるだろう。あまりの激情で誤ってとか?

この殺人者は精神異常者である。夫を殺害し死体をのこぎりで刻んで台車で運ぶ。理由は死体があまりに重かったから切り刻んだ。

精神異常者が責任能力がないとの理由で無罪や減刑になるようででは、すべての犯罪者は罪に問えない。

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関連ニュース

兄貴!

2008/03/10 09:51

 

当然と言えば当然。国民生活に直結している食と安全の問題だからね。

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実現します。

2008/01/31 17:50

 

宮崎正弘先生のメルマより

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奈津子『漫画で読む「南京大虐殺」の真実』(WAC)
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 この力作漫画集を、一大キャンペーンとして全国の若者に読ませる国民運動が出来ないだろうか、と考えながら全編を読んだ。台詞が多いので、漫画を見た、というより読んだ、と比喩した方がふさわしい。
 全国の小中学校、高校の図書館に寄贈する運動が組織化出来ないのだろうか?
 この漫画の主人公は学校でふと教えられた、日本軍はひどいことをしたという教科書などの記述に、『日本人として恥ずかしい』思いに囚われ、洗脳されかけた。
しかし南京関係の本を調べていく裡に、まったくのデタラメ、改ざん、政治プロパガンダの実態が浮き上がっていく。若い、歴史に無知な世代がとけ込みやすく物語の展開が手慣れていて、画風も迫力がある。
 本書は三部構成で、南京大虐殺のほか、第二部は『百人斬り』報道を斬る、再三部は『チベットの悲劇』の三部作合本の体裁。
 作者の畠奈津子さんと大館亜津子さんは福井在住の双子の姉妹。

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世界はエゴと軍事力で動いている

2008/01/28 17:30

 

 国益を守ることは国家の最大の業務である。ハンドボール日本代表の窮地を救うのは政治家しかいないのではないか

 もはやこれは政治問題である。おそらく都知事は本事案に対しコメントするだろうが、軍事力を背景にした国際力学では本邦はあまりにも無力である。

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「南京の真実」

2008/01/28 11:20

 

 先週の金曜日チャンネル桜エンタテイメント制作の映画「南京の真実」の試写会が行われた。三部作の第三部目に位置付けられている本作が、最初の公開されるにはわけがある。内容的には本来三作目にあたるが度重なる妨害により一部、二部の制作が困難になり急遽三部からの公開となったようである。

  僕も弱腕ではあるが当日お手伝いをさせてもらった。こう言っては申し訳ないが予想を上回る盛況で席の関係では関係者、及び一般の方々には多大なご迷惑、ご不快な状況を創ってしまった。お詫び申し上げたい。

 ロビーにはモニターを出して緊急上映。100名ほどがその場で鑑賞した。僕は映画を観ていないので内容については分からないが観た方々の感想は主人公の七人について「本当に殉教者という表現がふさわしい」等々感激していた。

 第二部、第三部とも大いに期待をしたい。

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